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平成19年8月末、山形市の茂吉記念館と酒田市の土門拳写真展示館見学の旅に出た。

前々日、夜8時に名古屋を出港した大型フェリー「きそ}は、波静かな伊勢湾を南下、午後10時過ぎには伊勢湾口神島水道を通過、日本列島に沿って北上し、一路仙台港を目指した。

翌日の夕刻には仙台港に接岸、その夜はJR仙台駅近くのビジネスホテルへ投宿した。仙台は伊達政宗公の築城による青葉城と牛タンが有名である

今回の旅の目的は仙台の観光ではない。明日の早朝にはJR仙山線の快速に乗って発たなくてはならない。睡眠促進のビールを早々に飲み干すと、純白のベットに体を沈めた。

 

8月31日(土)

山形へ移動する日だ。東北地方最大の政令指定都市だけあって、仙台駅から吐き出されてくる乗降客の流れが途絶える事は無い。仙山線ホームへ向かう。

今日の行程は山形市郊外にある茂吉記念館・左沢線(あてらざわせん)往復踏破と、陸羽西線で最上川沿いをくだり日本海沿岸の湊町酒田まで、距離は長い。

分水嶺を越えると勾配は下りになり、列車は山形盆地へ滑り降りるように快走して行く。北山形を通過して間もなく高層ビルが目立ってくると山形駅である。さすがに山形県都だけあって駅前の繁華街は賑わい活気が感じられる。

5分の待ち合わせで米沢行の普通列車に乗り換えた。乗り込んだ車両は、この地方に多いロングシートタイプで、座席は7割がた埋まっていた。

 

 

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ここから二つ目が茂吉記念館駅で、記念館は駅から3分の丘の上に建っていた。あたり一帯は緑が多く城跡のような感じがする。今朝からの雨は一向に止む気配がない。かなりの雨量である。しかたなくホームの待合室に入って、折り畳み傘を取り出した。

 

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標識に導かれて記念館に着くと、茂吉翁の胸像が迎えてくれた。

 

 

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記念館前の広場からは、天気がよいと名峰蔵王連山が見える筈であるが、今日は厚い雨雲にさえぎられて、鉛色の雲が棚引くばかりである。

 

茂吉記念館は日本建築様式であった。玄関を入ると広いロビーがあり受付カウンターには、うら若いお嬢さんがにこやかに迎えてくれた。音響による資料提示の第一回目の開演時刻が迫っていて、「まず、このお部屋からご覧下さい」と案内を受け、念願の茂吉記念館の見学が始まった。

 

mok0070004.jpg  「のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にいて足乳ねの母は死にたまふなり」歌集 赤光

中学校の国語教科書にこの作品が載っていて、八歳で実母と死に別れた体験を有する小生は 、この作品の情景に心情が重なって、不覚にも涙がこみ上げて来たのを思い出した。

 

 

 

「最上川の支流(ながれ)の音はひびきつつ 心は寒し冬の夕暮れ」

 

「あたらしき時代(ときよ)に老いて生きむとす 山に落ちたる栗のごとくに」

                    歌集 白き山

感想 二つとも寂しい情感が迫ってくるなあ。孤独感もね!! 

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・書画・愛用のペンなどの遺品と、茂吉が執筆活動をした日本間や居間の再現が印象に残った。

 

 

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